イジメの思い出
ウジウジ 反撃しない 言い返さない
いわゆるイジメられっ子は こうしたパターン
一方 イジメっ子は こうした人たちを
反撃しないことを前提に
トコトン イジメを繰り返す
ところが
こうしたイジメられっ子が
ある日 突然 反撃に出る
例えば 胸ぐらをつかむ
激しい言葉で 罵る
場合によっては 本当にぶんなぐる
一度 やり返すと
イジメっ子は 二度と その子に対して
イジメをやめる
私も同じような経験をもっているので
改めて思い起こせば 当たり前のようだが
なるほど と うなずく
小学校、中学校あたりは
どちらかというと 私はイジメられっ子だった
田舎の公立中学といえば
今にして思えば
おそらく3分の1くらいは
不良または不良予備軍だった気がする(笑)
おとなしく 争い事が嫌いな私は
そんな連中らの ターゲットだったようだが
ところが
ある日 突然 私に対する
イジメが収まった
そのキッカケは サッカーだった
田舎の中学では
きまって 体育の時間は
サッカーばかりやっていた
中学2年の時
年に一度の行事で
クラス対抗総当たりで
優勝を決める大会があった
サッカーといえば
誰もが FWをやりたがるが
私などは そんなわけで
だいたい バックか
きまってゴールキーパー
不良連中たちは 下手くそなくせに
FWの最前線
後ろにいる おとなしい 私たちは
ここぞとばかりに
下手なFWを心の中で笑っていた
しかし 大会となると 話は別だ
その大会で 奇跡的に
決勝戦に進んだ
試合は 残りあと数秒という場面で
1対0で 負けていた
私は この試合
ゴールキーパーを任された
失点をしてしまった 負い目もあり
クラスの名誉がかかっていたので
何としても 勝ちたかった
残り時間 あと 数秒のところで事件が起きた
もう時間がない中
キーパーも最前線に突入
ダメ元で蹴った私のボールが
フワッと滞空時間が長なり
そのボールが宙に浮いているときに
信じられないことに
試合終了のホイッスルが鳴った
フワッと蹴ったボールだったので
相手のキーパーは ジャンプのタイミングを外し
見事に ゴールとなった
ところが ノーゴールの判定
勝負にこだわっていた私は
「意図的だ!」と
猛然とホイッスルを鳴らした相手に抗議
(この時の審判は交代制の生徒)
自分でも どうにもならないくらい
罵詈雑言を吐き捨て
先生からも えらい剣幕で 注意をうけたが
それも聞かず
試合後のグランドは入り乱れ
没収されてしまった
その翌日
視聴覚室にクラスの代表数名と
先生数名をはさみ
激論
今度はケチをつけられた
相手クラスの担任がキレて
「お前ら 優勝にケチつけるのか」と怒鳴る始末
負けじと 私も 激しく反撃したが
結局のところ 試合は成立し
相手クラスの優勝となってしまった
(ルールはいまだにわかりません笑)
その事件をキッカケに
私に対するイジメはなくなった
何故 なくなったのかは
いまだに わからない
もしかしたら 不良連中たちと交わりたくないので
自らを
イジメられっ子の分類していたのかもしれない
そんな事件の後 中学生活は 楽しくなった
30数年が経過し
同窓会をやるたびに この話題になる
当時の不良連中たちも
いまでは すっかり ハゲあがった おっさんになり
まぁ 話をしても いまだに 馬鹿はバカだが(笑)
おそらく 田舎に残った 連中たちのほとんどが
私の会社から
アパートを借りてくれたり
土地を買ってくれたりしてくれた
そういえば
「お前ら 優勝にケチつける気か」
と怒鳴った先生も
その後 校長先生になり
退官後 私の会社に来て 土地を買ってくれた
私は 不動産には押し売りがきかない考えなので
頼まれる以外は
友人たちには
一切 営業をしない
不動産を買う行為は すごいことで
私を信じてくれている裏返しでもある
うれしいことだ
利害関係がなく
イジメられ ケンカし 怒鳴りあいながら
築いた人間関係って 鉄板である
年末になると 決まって 電話があり
正月に飲む
昔 ケンカ別れした
友人にも 会いたい 詫びたい
そんな 気持ちがつのる年齢になり
向こうも 同じ気持ちで思っていてくれることを願うばかりだ